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30 avril 371wa 間違い?昨日の朝方に気持ち良く寝ていると・・・・
しかし電話番号を見ても知らない番号であった。
このままほっといて急ぎならまた連絡があるし、留守電にメッセージが残るだろうと思いしばらく布団の中で携帯とにらめっこ♪ 案の定、留守電のメッセージが残り、聞いてみると「おばちゃんの所に電話がないからおにいちゃんに連絡した・・・」 しかし兄ちゃんの携帯番号なら登録しているだろうし
以前にも携帯の留守電に「◎×さんを呼んでいただきたいのですが・・・」とあったけど本人の携帯なのだからそのメッセージは可笑しいだろう!と思ったことを思い出した。
最近は、電話番号の登録機能があるので間違い電話も珍しくなってきましたね(@_@;) 『楽屋から火を出す』 【内部から騒動が起こること、自分から災いを引き起こすこと あの人がいるところはいつも騒がしいとか、いつも怪我をするのはあの人だな~と言う人が自分の周りにもいます(笑) 28 avril 370wa G.W直前ETCが相変わらず手に入らないポン太です。 明日は「昭和の日」ということで祝日です。 この125代までず~っと男帝の天皇が続いてきましたが,この先どうなるか難しい問題が残っています。 日本の象徴としてこれからも続いて行く信仰ともいえますね(`´)
『病上手は死に下手』 【病気にかかりやすい人は案外長生きをすることをいう。】 27 avril 369wa 鳥居強右衛門(スネウエモン)先日ようやく『風は山河より』(著者:宮城谷昌光)という本を読み終えることができました。 今回の旅行と偶然に重なった歴史の案内人とも言える本でした。
決してふざけた旗ではないのです(笑) 武田信玄の後を継いだ勝頼は長篠城を包囲し、没落寸前となった。 岡崎城についた強右衛門はすぐさま家康と織田信長に現状を報告するや援軍が起つことの約束を取り付けて再び長篠城に戻る時に武田軍に捕まってしまった。
武田軍は、助命として長篠城内の兵に「援軍きたらず」と叫ぶことを条件として城の前に立たされた。 そこで鳥居強右衛門は約束を守らずに「援軍はすぐそこまで来ている」と叫んだ。 その時に磔にされた様子である。 そして殺され三河武士の英雄としてこんにちまで語り継がれているみたいです。 この時代も後世まで語られる名誉ある死が少なくないですね。
23 avril 368wa 常習犯毎日ポンタロウも花を見ながらまったり生活を送っているのですが このヤル気ない柵から脱走するようになってきました。
そろそろこの日光浴場も閉鎖の方向に進んでいます^^ 八重桜かな?
おまけ 広場ではかなりの迫力がありましたが動画にするとイマイチ(+o+)
『人には言わぬが我言うな』 【秘密を守るには、まず自分自身がうっかり口をすべらさないよう 最近では、情報漏洩などは特に気をつけなければいけませんね 22 avril 367wa 大樹寺この大樹寺というお寺は、前回の話にも出てきましたが徳川家康公の菩提寺として知られているところです。 観光客もあれ・・・・・ほとんどいません! 時間帯が悪かったということにしておきます(*^_^*)
この後ろを見ると山門がありその門の先の直線状には岡崎城を眺めることができます。
桶狭間の合戦により今川義元が討たれ、徳川家康や家臣達はこのお寺でこの先の事を考えていました。 家臣がこの寺から岡崎城を守城していた今川軍が引き揚げていく姿を確認するや徳川軍は空城を拾いに行きました(^o^)
お寺の中は・・・ 金色の看板が二つ柱についていました。 厭離穢土(おんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど) この言葉は、徳川家康公の馬印としても使われていました。
奥には松平家一門のお墓がありました。 手前が家康公そして隣が広忠公(父)その隣が清康公(祖父)
ここに立っているだけでもかなりの威圧感がありました(`´) 21 avril 366wa 岡崎城前回からの続きになりますが・・・・ 松平清康(家康の祖父)がこの地に城を移して岡崎城と称することに 1542年12月26日にこの岡崎城で誕生しました。 松平郷の産湯の井戸
家康は、6歳の時に織田家に人質になり信長と兄弟関係の基礎を築きあげます。のちの織田・徳川同盟も想像できますね~
そして8歳の時に今川家の人質として少年時代を過ごしていきます。 また場違いな銅像がありました(笑)
1560年の桶狭間で織田軍vs.今川軍の合戦が行われ圧倒的有利と言われていた今川軍が倒れました。
今川義元が戦死したため岡崎城を守っていた家臣達も一斉に駿河に戻り、空になった城をそのまま徳川家康と家臣達が入城してこの岡崎の地にやっとの思いで帰りざいたことになります。 このとき家康19歳!
おまけ1 またもや銅像です! 前回の浜松城にいた家康の像は若かったけど、岡崎城にいたのは少し貫禄が出てきました。
おまけ2 1570年にこの城を嫡男信康を岡崎城主に置きますが、織田信長の命令によって1579年に自刃させられます。 19 avril 365wa 松平郷徳川家康公の祖父:松平清康や父:松平広忠のことまでは著書にでて
家康から数えて8代前(14世紀後半)徳阿弥と名乗る僧が諸国を
松平郷で松平太郎左衛門家の婿として家を継ぎ親氏と名乗り徳川家康 始祖:松平親氏の銅像
2代泰親と3代信光で西三河の大半を治めていくことに成功して、その後は三河全域まで勢力を拡大して家康の祖父:清康が尾張へ進出を始めた頃に家臣から刺殺されて総崩れになっていきます。 ちなみに父の広忠も家臣に村正という刀(清康の刺殺時と同じ)で刺殺されます。
松平家が生き延びていくためには家康の人質は避けられなかったのがわかります。
松平郷:水芭蕉 高月院
東照宮は日光東照宮と久能山東照宮と見てきましたが、ここは落ち着いた雰囲気の建物になっていました。 やはりこうでないといけないですね♪ 松平東照宮の朱印
この前日と前々日は春祭りが行われていたらしく海外からの
今度は桜の満開時かお祭りの時に訪れたいと思います(`´) (愛知県豊田市 松平郷館 パンフ一部参照) 18 avril 364wa 長篠の戦い武田の家督を継いだ勝頼公ですが戦は強かったです。 戦が強かったがゆえに戦により滅んだということになりました。 長篠城痕 この長篠の戦いは、武田軍vs織田・徳川の連合です。
今までや槍や刀での戦いでしたが、この戦から鉄砲が主流に用いら 不利な地形で鉄砲などの武器により武田軍はかなりの死傷者を出し
これより負け戦が続き、織田・徳川の追撃などを受けてついに山梨県の天目山で武田勝頼公とその家臣達は自害します。
以前に山梨に行った時のものです。 (音が出ますので注意)
『学問に王道なし』 【学問には、直ちに修得できるような特別な方法などという 学問に限らす一芸を身につけるにも時間が必要ですね。 17 avril 363wa 野田城これで浜松を後にした武田軍です。 野田城址 ほとんど森と化している場所で
このお城は武田軍が1ヶ月を用いてようやく落ちたお城です。
こののち信玄公の持病が悪化して甲斐の国に帰る途中で息を引きとる 俗説では月夜に笛の音を聞いている時に鉄砲で討たれたとも言われて
戦国時代の巨星の一人が堕ちました。
こののち嫡男の武田勝頼が家督を継ぎますが、長篠の戦いを皮切りに
家康公を見に行ったのに武田方に道がそれてしまった(@_@;) 『五歩の詩』 【早作りの詩。また機敏な受け答えの事をいう。中国の史青は、五歩 いついかなる時も素早い受け答えが必要な時があります。 16 avril 362wa 三方ヶ原古戦場 犀が崖(さいががけ)相変わらず戦が続いています~(^o^)
現在は13m位の深さですが、当時は90m(五十間)と示されて
さすがに三河衆ですね!
あの世からの復讐戦が始まります・・・・ この事件があった翌々年以降にこの崖から夜更けになると人や
それを鎮める為に僧侶をまねいたり太鼓を叩いたりしたらしいです。
ポン太も「たたり」を鎮めるために15分間のビデオを
怨念とかは残っているような気がしますね~('_') 気分転換に!
『親が死んでも食休み』 【どんな場合でも食後の休息は大切だということ。続けて 食後の休憩は必要ですね。 15 avril 361wa 浜松城現3代目 家康公鎧掛松(よろいがけのまつ) 昨日の戦場からやっとのことで浜松城まで逃げ帰ってきた
家康公と言えば岡崎城であったり、江戸のイメージもあるのですが
ポン太も今後の出世に期待したいです(笑)
若い頃の家康公
『血気盛りに神祟らず』 【血気盛んなときには、たとえ道にはずれたことをしても、天運 家康公も幼少期は織田家と今川家の人質として生活して、天下まで 360wa 三方ヶ原の戦い三方ヶ原の戦場跡地を見てきました。 どんな戦いだったかと言うと・・・・ 武田信玄が京の都に上洛するために途中の徳川軍と衝突した場所です。
徳川家康が命からがら浜松城に逃げ込む途中にうん●を漏らしてしまったと言うのは有名な話です。 その負けた時の表情を画師に描かして、この時のことを忘れない
その時の絵は今も厳重に保管されているらしく滅多に見ることが
続くかも・・・・ 少し見ない間にポンタロウハウスもすっきりしました。
『咽元思案』 【浅薄な考えのこと。】 自分の浅はかさに倒れることがあります。 14 avril 359wa 帰還10 avril 358wa 旅昨年の今頃から趣味に読書家を加えました(^o^)
武田信玄ファンとしても読みごたえがありました。
そうだ!
100円投げないと動かなくなりました( 一一) 『蚤の夫婦』 【妻のほうが夫より大きい夫婦のこと。蚤は雌が雄よりも大きい 最近の男子は草食化しているらしく女子の方が肉食化であるらしい。 9 avril 357wa 春だね~もうすっかり桜も満開になり春に浸っています♪
よく見ると網の上で焼かれている魚にも見えます♪ 電線や電話線そして光ケーブルが張り巡らされているなか
この苦しい世の中、頑張って泳いでいってほしいものですね♪ 『市に虎あり』 【一人の人が、町に虎がいると言っても信じる者は少ないが、大勢の人が言えば本当と思える。根拠のない事でも、多くの人が言えば信じるようになるというたとえ】 7 avril 356wa 予約待ちETCの設置により週末の高速道路の料金が安くなるということで
人間の心理として無いと言われるとどうしても欲しくなってしまう! 今回は助成制度などもあり高速をよく利用する人達は
枝の上で寝ていた食客の猫です(=^・^=) 『上見ぬ鷲』 【鷲は他の鳥を恐れず、上空から襲われることを用心しない。
最近は、殿さま商売をしている所もあまり見かけなくなりました。 6 avril 355wa 清明桜花爛漫にして、天地万物が清明の気に満ちあふれてきます。 昨日あたりから桜も満開に咲き乱れてきました。 犬を連れてカメラを持っている人達も見かけました。
面白い花を発見!
ポンタロウと散歩をしていましたが、少し疲れ気味です。 『目の正月』 【「正月」が年間を通してもっとも楽しい時であることから、美しい物、珍しい物などを見て楽しむこと。「目正月」とも。】 子供の頃のお正月は、本当に楽しいひと時でした。 5 avril 354wa 春の準備2 avril 353wa ちょっとその前に昨夜は、雷がなっていてふと自分の耳を疑いました。
先日、枝に注目してみるともう既に実がなり始めていました。
この実が夏ぐらいまで成長して収穫します。 するとこれが梅酒になったり、梅干しに変身いたします。 この自家製梅干し・・・ 1個食べると酸っぱいです。 2個食べると胃が口から出てきそうになります。 3個で死亡フラグが立ちます。 長持ちさせるために塩分多めですが常識を超えているので
出来れば梅酒に変身してほしいかな~ 『蓮華の水に在るが如し』 【蓮の花が泥水の中で清らかに咲いているように、世間の汚れに 1 avril 352wa エープリルフール今日から新年度になりましたね~ 昨年の10月頃の話では定額給付金がもらえるのは年末だと
食べたかったうどんです。(以前の撮影) 鍋焼きうどん980円 山価格にしては安いのかな~
鍋割荘(HPです) この山小屋は、マスターが山の下から木材などを運んで作った
ポン太も当然登山の時はボランティアで水を運びます。
『商人は木の葉も錦に飾る』 【腕の良い商人は、つまらない品物でも、飾り立てて立派なもの お店の中で見ているとほしくなって購入してしまうが、自宅で |
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